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東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)56号 判決

原告

千代田化工建設株式会社

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和56年審判第9634号事件について昭和58年12月8日にした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和52年3月7日、名称を「液体炭化水素の気化装置」(後に「液体炭化水素の密封型大容量気化装置」と補正)とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和52年特許願第24553号)したところ、昭和56年3月3日拒絶査定があったので、同年5月14日審判を請求し、昭和56年審判第9634号事件として審理された結果、昭和58年12月8日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は昭和59年1月25日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

液体炭化水素供給管と気化ガス導出管を備えた、液体炭化水素を蒸発させるための蒸発缶と、前記液体炭化水素を熱媒により加熱、気化させるための気化器からなり、該蒸発缶の耐圧強度を加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にすると共に、該蒸発缶の排ガス放出設備を廃止して前記液体炭化水素の加熱により生じた気化ガスを該蒸発缶内に封じ込めたことを特徴とする液体炭化水素の密封型大容量気化装置。

(別紙図面(1)参照)

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  ところで、特許第119756号(昭和11年公告第4448号)明細書(以下「引用例」という。)には、液体炭化水素供給管と気化ガス導出管を備えた、液体炭化水素を蒸発させるための蒸発缶と、前記液体炭化水素を熱媒により加熱、気化させるための気化器からなる液体炭化水素の気化装置に係る発明(別紙図面(2)参照)が記載されていると認められる。

(3)  本願発明と引用例記載の発明とを対比すると、本願発明が、(イ) 蒸発缶の耐圧強度を加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にすると共に、該蒸発缶の排ガス放出設備を廃止して液体炭化水素の加熱により生じた気化ガスを蒸発缶内に封じ込め、(ロ) 密封型大容量としたのに対し、引用例記載の発明が、蒸発缶の耐圧強度を加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にしているか否か不明確であると共に、比較的小容量のものである点で両発明は相違し、その余の構成において両発明は一致している。

前記相違点について検討すると、一般に液体炭化水素の蒸発缶における安全弁等の排ガス放出設備は、缶自体及びこれに接続された管系やガス消費設備等の耐圧強度との兼ね合いないし妥協で設けられるものである。換言すれば、耐圧強度が安全上十分なものであれば、安全弁等は不要になることは自明の理である(耐圧強度を経済性を無視して極端に大きくすると、安全弁は不要となる。)が、実際には耐圧強度を適当な大きさとし、安全弁等を設置して現実的解決を図つているところである。本願発明を実施する上で、明細書記載のように、小型の安全弁の使用を予定して、耐圧強度の現実的な妥協を図つていることも、前記のような現状を証するものである。

以上の次第であるから、蒸発缶の耐圧強度を増大して気化ガスを蒸発缶内に封じ込めようとすること、即ち前記(イ)の構成とすることは、当業者が容易に想到しうることである。また、前記(ロ)は、引用例記載の発明の密封大容量気化装置への単なる転用であり、当業者が容易になしうることである。

(4)  したがって、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

引用例記載の発明の技術内容、本願発明と引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは認めるが、審決は、両発明の相違点(イ)について判断するに当たり、本願発明の技術内容を誤認し、かつ本願発明の奏する顕著な作用効果を看過した結果、前記(イ)の構成とすることは、当業者が容易に想到しえたものと誤つて判断したものであつて、違法であるから取消されるべきである。

(一)(1)  審決は、本願発明と引用例記載の発明との相違点(イ)について判断するに当たり、本願発明の主要な構成要件である「蒸発缶の耐圧強度を加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にする」構成(以下「構成要件A」と略称する場合がある。)を、単に「蒸発缶の耐圧強度を増大」することと同義に解釈している。

しかしながら、本願発明の構成要件Aは、本願発明の他の構成要件の1つである「液体炭化水素の加熱により生じた気化ガスを蒸発缶内に封じ込めた」構成(以下「構成要件B」と略称する場合がある。)と密接不可分な関係を有するものであつて、本願発明は、蒸発缶の耐圧強度の増大の下限を「液体炭化水素の加熱により生じた気化ガスを蒸発缶内に封じ込め」る(構成要件B)ため必要な「加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧」(右にいう気液平衡圧とは、右温度における液体炭化水素の飽和蒸気圧を意味する。)とした(構成要件A)ところに大きな技術的意義があるのであつて、単に「蒸発缶の耐圧強度を増大する」こととの間には顕著な差異がある。すなわち、

従来技術では、液体炭化水素の気化装置における蒸発缶を設計する場合には、まず、蒸発缶から発生した気化ガスを利用する側(例えば、ボイラ)の使用圧力をその設計の基本とし、次に、その気化ガスが蒸発缶からボイラ等に通ずる配管内を通過する際に生ずる圧力損失等を考慮して蒸発缶の運転圧力、すなわち常用圧力を決め、更に、「石油学会規格」社団法人石油学会編集、昭和39年12月1日発行(甲第4号証)の「3・2 設計圧力の定め方」が示すように、圧力変動やボイラの停止操作等を考慮して、常用圧力の値の1.1倍又は常用圧力の値に1.8kg/cm3を加えた値のいずれか大きい方を蒸発缶の設計圧力とし、これによつて耐圧強度が決定される(なお、前記規格は、安全弁を設けた塔ソウ類についての規格であつて、3・2・2項に塔ソウ類の設計圧力は「予想される最高の圧力とし、これが想定されない場合は(常用圧力×1.1)、または(常用圧力×1.8kg/cm3)のいずれかをとる。」と定める「予想される最高の圧力」とは、通常の負荷変動による圧力変動のうちの最高の圧力をいゝ、この圧力を越えるような緊急時には安全弁が作動するように設計するもので、本願発明にいう構成要件Aとは根本的に相違する。)。そして、この蒸発缶に安全弁が設置され、蒸発缶の内圧がこの耐圧強度以上に上昇しないように安全弁が調節される。

大容量気化装置を従来技術のかかる蒸発缶の設計方法によつて製作した場合、右装置はすべて安全弁を備え、その規定圧力以上に蒸発缶の圧力が上昇した場合、安全弁からベントスタツクやフレアスタツクを経由して気化ガスを放出、燃焼させていたため、安全弁の作動の都度気化ガスあるいはその燃焼ガスが大量に大気中に放出され、生ガス、燃焼ガスの放出による大気汚染の公害問題を生じ、また、安全弁、ベントスタツク、フレアスタツク、配管設備等の設置の経済的な負担が問題とされていた。そこで、本願発明は、ベントスタツク、フレアスタツク、及び従来蒸発缶に必ず設けるものとされていた安全弁の廃止に着目し、この技術課題を解決するため、どの程度の強度の蒸発缶を作ればよいか検討した結果、その耐圧強度の増大の下限を構成要件Aとすることにより、必要最少限の蒸発缶の板厚で構成要件Bのとおりとすることを可能にしたものである。

したがつて、蒸発缶の耐圧強度の増大の下限を、これらの排ガス放出設備を廃止して気化ガスを蒸発缶内に封じ込めるために必要な「加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にする」という技術的思想は、本願発明によりはじめて想到されたものであり、従来技術や技術常識に基づいて当業者が容易に想到しえたところではない。

(2)  審決は、前記相違点を判断するに当たり、安全弁等の排ガス放出設備の廃止と耐圧強度の関係について、耐圧強度を適当な大きさとし、安全弁等を設置して解決しているのが現実であり、本願発明においても、これを「実施する上で、明細書記載のように、小型の安全弁の使用を予定して、耐圧強度の現実的な妥協を図つている。」と認定している。

しかしながら、本願明細書の発明の詳細な説明中には、「小型の安全弁27は普通火災時等の外部からの入熱に見合う吹出しガス容量を持つ耐圧保護用の逃し弁であり、大型の安全弁28は火災を除く前記の緊急時におけるさらに多量の蒸発気化量に見合う容量の耐圧保護用逃し弁である。」(明細書第4頁第5行ないし第10行、昭和55年10月20日付手続補正書第3頁第1行、第2行。なお「前記の緊急時」とは、明細書第3頁第12行ないし第15行の「気化装置の蒸発気化量が異常に増大する加熱源の暴走あるいは調節が不能になつた時、ガスの使用側が緊急停止したりする時等の状態の急激な変化がある緊急時」を意味する。)と記載しているように、本願発明の小型(小容量)安全弁は、蒸発缶の加熱熱媒による気化ガスの排出のための安全弁ではなく、他の火災等に起因して生起することがあるかも知れない蒸発気化量の増大に備えている安全弁であつて、蒸発缶自らに起因して作動する、従来の蒸発缶に使用されてきた大型の安全弁ではない。このことは、本願発明が「該蒸発缶の排ガス放出設備を廃止して前記液体炭化水素の加熱により生じた気化ガスを該蒸発缶内に封じ込める」ことを構成要件にしていることからも明らかである。

したがつて、審決の前示認定は誤りである。

(3)  被告は、安全弁を使用しない圧力容器として、ボンベ等を例示し、この種の圧力容器において破壊を防ぐために、圧力の上昇を許容して耐圧強度を圧力上昇に見合つた値にすることは技術常識に属する設計技法であるとして、本願発明は当業者が容易に想到しえたものである旨主張している。

本願発明の出願当時、圧力容器に安全弁を設けるものと設けないものが周知であつたことは認める。しかしながら、被告が主張するボンベ等は、単なる回分式の圧力容器であつて、本願発明に係る気化装置のように液体炭化水素を熱媒により加熱気化させるための気化器を備え、連続的に気化を行うものとは技術内容を異にしている。

また、ボンベ等は公害問題とは全く無関係のものであるのに対し、本願発明は、単に破壊を防ぐために、圧力の上昇を許容して耐圧強度を圧力上昇に見合つた値にするというものではなく、「加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にする」という技術的思想に基づき、従来の技術常識を打破し、これまで液体炭化水素の蒸発缶において安全弁の使用、フレアスタツクやベントスタツクの使用、更には生ガスや燃焼ガスの放出による大気汚染等は致し方のない必然的なものであるとしていた認識をはじめて覆えしたのである。

したがつて、本願発明は、ボンベ等の圧力容器におけるように、ただ単に、圧力容器が破壊しないようにその耐圧強度を上げることは常識であるという単純な考えから容易に想到しえたとすることはできない。

(2)  本願発明は、蒸発缶の耐圧強度の増大の下限を構成要件Aとすることにより、必要最少限の蒸発缶の板厚で構成要件Bのとおりすることを可能にし、蒸発缶の排ガス放出設備、すなわち安全弁、ベントスタツク、フレアスタツク、それらに導かれる配管設備等を全く廃止し、これにより生ガス、燃焼ガスの放出による大気汚染という公害の発生を皆無とし、かつベントスタツク、フレアスタツク建設のための広大な敷地をも不要とするという顕著な作用効果を奏するものである。しかも、本願発明のごとき大容量気化装置の設備費は膨大なものであることを考慮すると、本願発明に係る装置は、経済性、安全性、災害防止及び公害防止の面から多大の効果をもたらすものである。しかるに、審決は、引用例記載の発明や技術常識からは予測することのできない本願発明の顕著な作用効果を看過したものである。

第3被告の答弁及び主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の審決の取消事由の主張は争う。

審決の認定判断は、正当であつて、審決には原告の主張する違法はない。

(一)(1)  蒸発缶の耐圧強度をどの程度にするかという技術課題を解決するためには、容器に安全弁を付けて内圧の上昇を抑制するか、容器の耐圧強度を気液平衡圧以上として内圧の上昇を許容するかのいずれかを選択する必要があるが、その選択は、当業者にとつて本願発明の出願当時の技術常識に基づいて容易になしえたことである。以下、その理由を詳述する

安全弁は、高圧装置内の圧力が規定以上に上がることを防ぐための弁であり、蒸気缶、高圧反応容器、ボンベその他の圧力容器において、蒸気又はガスの圧力が缶又は容器の使用標準圧力以上に上昇した場合、容器の破壊を防ぎ、また、付属備品などを保護するため自動的にガス又は蒸気を容器外に放出させる付属装置であることは、周知のことである。

一方、ガスライタ(詳しくはその燃料の容器部)、携帯用の燃料ボンベ、殺虫剤又は吹付塗料用のエアロゾル型ボンベ(以下「ボンベ等」という。)は、圧力容器の一種であるが、内部に内容物自体もしくは噴射剤である液体炭化水素が気液平衡の状態で収容され、その容器の耐圧強度を気液平衡圧以上として、安全弁を全く使用していないことは、周知のことである。すなわち、ボンベ等は、通常の使用温度よりも相当高い温度における液体炭化水素の気液平衡圧に耐えるように、その容器の耐圧強度を十分に高くして、安全弁を不要とし、しかも安全に使用できるようにしている。

ところで、圧力容器において、使用標準圧力以下では、内圧は必要条件であり、しかも容器が内圧によつて破壊されずに正常に使用されるため、内圧に抗しうる耐圧強度とする設計技法が採られる。しかしながら、内圧が使用標準圧力を越える場合には、超過圧力は、圧力容器の使用に不要なものであるので、圧力容器の破壊を防ぐためには、内圧の上昇を抑制するか、内圧の上昇を許容して耐圧強度を圧力上昇に見合つた値にするか、二者択一の設計技法が採られる。前者の手法が安全弁の例であり、後者の手法がボンベ等の例であり、いずれの設計技法を採るかは、その経済性によるところが大きいと考えられる。

本願発明は、前記の技術常識に基づいて、後者の設計技法、すなわち圧力容器の一種である蒸発缶の耐圧強度を増大する手法を採つたものであつて、当業者が容易に想到しえたものである。審決は、耐圧強度を増大し、構成要件Aにおけるように加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にすることは容易に想到しえたものであるとの点について具体的に触れていない。しかしながら、耐圧強度について設計を行う場合、圧力容器内の最高の圧力を予想することは、前掲石油学会規格にも示されているように周知のことであり、蒸発缶の最高となる圧力は、これに用いる加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧であるから、蒸発缶の安全設計上は、その耐圧強度を前記気液平衡圧以上にしなければならないことは当然のことであり、本願発明の構成要件A(右要件にいう気液平衡圧とは、右温度における液体炭化水素の飽和蒸気圧を意味することは認める。)は、通常行われている設計技法から容易に想到しえたものである。そして、このようにして蒸発缶の耐圧強度を設計し、構成要件Aを採ると、安全弁が不要となることは自明である。

この点について、原告は、耐圧強度の増大の下限を「加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧」とすることは従来技術にはみられなかった旨主張するが、原告が援用する前掲石油学会規格の「3・2 設計圧力の定め方」の記載に照らしても、設計圧力は予想される最高圧力を採るのが普通であつて、これが想定されない場合、すなわち特段の事情がある場合に、所定の別の圧力を採ると解され、このことは、本願発明の出願当時周知のことというべきである。

また、原告は、蒸発缶の耐圧強度の増大の下限を構成要件Aとすることにより、必要最少限の蒸発缶の板厚で構成要件Bのとおりとすることを可能にした旨主張するが、構成要件Aによれば板厚の上限が定まつていないから、この要件により板厚を必要最少限とすることはできず、また、構成要件Bは、構成要件Aにより当然に導き出されるものであるから、この点からも原告の主張は理由がない。

(2)  審決が原告の主張する相違点(イ)を判断するに当たり引用した小型の安全弁が、火災時等の安全のために設けられることは、本願明細書中の原告摘示部分に記載されたとおりである。

しかしながら、審決は、小型の安全弁に関しては、安全弁が蒸発缶の耐圧強度との兼ね合いで設けられることの事情について述べただけであつて、小型の安全弁と大型の安全弁とが同じものであるという認識ないし判断をしたものではなく、したがつて、審決の右判断には誤りはない。

(2)  蒸発缶の耐圧強度を一定値以上にすること、すなわち構成要件Aを採ると、構成要件Bのように蒸発缶の排ガス放出設備を廃止することができることは当然のことであるから、構成要件ABに基づく本願明細書に記載された作用効果は何ら格別のものとはいえない。

したがって、本願発明の作用効果に関する原告の主張は理由がない。

第4証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

(1)  成立に争いのない甲第2号証の1ないし3によれば、本願発明は、液体炭化水素の密封型大容量気化装置に関するものであるが、① 液体炭化水素の気化装置の従来技術において、解決すべき重要な問題は、蒸発気化量が異常に増大する加熱源の暴走あるいは調節不能時、炭化水素ガスの使用側の緊急停止時等状態の急激な変化がある緊急時に、その内部圧力の急上昇による気化装置の破壊、爆発等からいかにして安全を確保するかにあつたこと、② そこで、従来は、2種類の機能と容量を持つ安全弁ないし逃し弁、すなわち、火災時の外部からの入熱に見合う吹出しガス容量を持つ耐圧保護用の逃し弁である小型の安全弁、及び火災を除く前記緊急時における多量の蒸発気化量に見合う容量の耐圧保護用逃し弁である大型の安全弁を設けることにより問題の解決を図つてきたが、この小型安全弁は、火災による噴出ガス放出系配管を介してスタツクに接続し、該スタツクから噴出ガスを放出し、あるいは直接大気に放出し、一方、大型安全弁は、緊急時用の噴出ガス放出系配管を介してスタツクに接続し、気化ガスを燃焼させて放出し、あるいは直接大気に放出していること、③ ところが、化学工場や製鉄工場で使用される右気化装置の気化容量は、それぞれ数トン/時、10~20トン/時程度であるから、右のような安全弁ないし逃し弁を設置すればよく、技術的な問題を生じることがなかつたが、近時発電用燃料として液化ガスが使用されるに至り、総気化量200トン/時以上の大容量気化装置が必要となつたため、緊急時における設計排出ガス量が増大し、従来技術をそのまま適用すると、安全な排出又は燃焼を確保するためにはきわめて高い大型の設備(例えば、150m以上の高さのベントスタツク)やこれを設置する用地が必要となり、また多量のガスの大気中への排出や大気中での燃焼により大気汚染等の公害発生原因となること、④ このように大容量気化装置については従来技術をそのまま適用することができないので、本願発明は、この従来技術の問題点を解消することを技術課題とし、これを解決するため、大容量気化装置における「蒸発缶の耐圧強度を加熱熱媒の最高使用温度(すなわち、熱媒の運転時に予想される最高到達温度)における液体気化水素の気液平衡圧以上にする」(構成要件A)とすると共に、「該蒸発缶の排ガス放出設備を廃止して液体炭化水素の加熱により生じた気化ガスを蒸発缶内に封じ込めた」(理由においてはこれを「構成要件B」という。)構成としたものであることが認められる。

(二)(1) 審決は、本願発明と引用例記載の発明との相違点(イ)、すなわち、本願発明が前記構成要件A、及びBを採択した点を判断するに当たり、(a)「一般に、液体炭化水素の蒸発缶における安全弁等の排ガス放出設備は、缶自体及びこれに接続された管系やガス消費設備等の耐圧強度との兼ね合いないし妥協で設けられるものである。」とし、また、(b)「実際には、耐圧強度を適当な大きさとし、安全弁等を設置して現実的解決を図つて」おり、「本願発明を実施する上で、明細書記載のように、小型の安全弁の使用を予定して、耐圧強度の現実的な妥協を図つていることも、前記のような現状を証するものである。」と判断している。

しかしながら、(a)については、液体炭化水素の蒸発缶に設けられた安全弁をそれがどの程度の圧力で作動するようにするかは、蒸発缶自体及びこれに接続された管系やガス消費設備等の耐圧強度との兼ね合いで決められることであるが、熱媒を用いる液体炭化水素気化装置において、装置内部の要因に基づく内圧上昇に対処するための安全弁等の排出ガス放出設備の設置そのものが蒸発缶自体及びこれに接続された管系やガス消費設備等の耐圧強度との兼ね合いないし妥協で決められるものであることが技術常識であるとは到底認めることができず、また、これが一般的であることを認めるに足りる証拠も存しない。また、(b)については、前掲甲第2号証の1ないし3によれば、本願明細書の発明の詳細な説明中には、「熱媒以外に起因する昇圧、たとえば火災等の外部による不測の事故にもとづく装置内圧の上昇に対しては小型安全弁を蒸発缶1に設けることは法規で義務づけられているため必要である。」(昭和55年10月20日付手続補正書第8頁第10行ないし第13行)と記載されており、これによれば、本願発明は小型安全弁の使用を予定するものであるが、右記載によつても明らかなとおり、小型安全弁は火災時等の外部からの入熱に見合う吹出しガス容量を持つ耐圧保護用の逃し弁であつて、蒸発缶の加熱熱媒による気化ガスの排出のための安全弁ではないから、本願発明の実施に当たつて小型安全弁の使用を予定していることが、耐圧強度を適当な大きさとして安全弁等を設置して現実的解決を図つていることを証するものであるとすることは、該小型安全弁の有する機能を誤認したことに基づくものであり、その前提において失当とするほかない。

したがつて、相違点(イ)について示した審決の前記(a)(b)の判断はいずれも誤りといわなければならない。

(2)  この点に関して、被告は、安全弁が設けられている蒸気缶、高圧反応容器、ボンベその他の圧力容器と安全弁が設けられていないガスライタ(詳しくはその燃料の容器部)、携帯用の燃料ボンベ、殺虫剤又は吹付塗料用のエアロゾル型ボンベとを例に挙げ、蒸発缶の耐圧強度をどの程度にするかという技術課題を解決するためには、容器に安全弁を付けて内圧の上昇を抑制するか、容器の耐圧強度を気液平衡圧以上として内圧の上昇を許容するかのいずれかを選択することとなるが、その選択は、当業者にとつて本願発明の出願当時の技術常識に基づいて容易になしえたことであり、本願発明はこの技術常識に基づいて圧力容器の一種である蒸発缶の耐圧強度を増大する設計技法を採択したにすぎない旨主張する。

本願発明の出願当時、圧力容器には安全弁を設けたものと、安全弁を設けないものとが周知であつたことは、当事者間に争いがない。しかしながら、被告が安全弁を設けないものとして挙げている圧力容器は、いずれも家庭などで用いるきわめて小容量の圧力容器であつて、工業用の大容量の圧力容器ではない。また、これらの圧力容器は回分式のものであつて、しかも気温の変化による温度変化を受けることがあつても、通常は、積極的な加熱などによる温度変化を受けるものではないことはその圧力容器の種類、性質から明らかであるから、その内圧が著しく増大することが予測されるものではない。一方、被告が安全弁を設ける圧力容器の例として挙げている蒸気缶、高圧反応装置は、いずれも工業用の比較的大容量の圧力容器であり、外部からの熱や圧力の供給によつて内圧が上昇、下降し、その変動も大きくなることが予測されるものであり、ボンベもまた大量の圧縮ガスや液化ガスを貯蔵するものである点において、前記の家庭用小容量圧力容器とは異なつている。

また、成立に争いのない甲第6号証(化学工業協会編「化学プラントの安全対策技術2 化学プラントの安全設計」、昭和54年7月10日発行)によれば、「2・4・2 機器・装置(プロセス機器)の安全化対策」の項の「a・(ⅱ)(4)最高許容使用圧力」の項に、「構造上使用可能な最高圧力をいう。ここで構造上使用可能だということは、構造上安全に使用することができるという意味であつて、(中略)この値までは内部の気体または液体の圧力をあげても差し支えないわけであり、安全弁もこの値以下で作動するようにセットさせるのが通常である。」(第80頁第10行ないし第15行)と記載されていることが認められ、右記載は、化学プラントの機器・装置の安全対策として、安全弁を設けるのが本願発明の出願後においてさえ、普通であることを前提とした説明であると解される。このことは、成立に争いのない甲第5号証(川嶋祐二作成の陳述書)によれば、従来液体炭化水素の気化装置の設計においては、蒸発缶から発生した気化ガスを利用する側(例えばボイラ)の使用圧力に、蒸気缶からボイラに至るまでの配管等で消費される圧力損失を加えて蒸発缶の運転圧力を決定し、この運転圧力の1.1倍又は運転圧力+1.8kg/cm3のいずれか大きい値の圧力を設計圧力とし、これに対応した安全弁を採用してきたことが認められることからも明らかである。

以上の認定事実によれば、本願発明の出願当時における圧力容器の安全性を確保するための技術常識は、安全弁を設けず内圧の上昇を許容して耐圧強度を圧力上昇に見合つた値にするか、安全弁を設けて内圧の上昇を抑制するかの2つの設計技法があるが、内圧が単に気温の変化で変動する程度で使用標準圧を著しく越える虞れがない回分式の小容量の圧力容器の設計に当たつては、前者の設計技法が採択されるものの、工業用の内圧の著しい変動があることが予測される大容量の圧力容器の設計に当たつては、後者の設計技法が採択されることである、というべきである。

ところで、前記本願発明の要旨によれば、本願発明は、液体炭化水素供給管と気化ガス導出管を備えた液体炭化水素を蒸発させるための蒸発缶と、前記液体炭化水素を熱媒により加熱、気化させるための気化器とからなる液体炭化水素の大容量気化装置に係り、該蒸発缶中で、該供給管から供給される液体炭化水素を熱媒により加熱、気化させ、気化ガスを該導出管から導出するものであつて、工業用のものであり、該蒸発缶は熱媒の温度、量及びガス導出量などによつて、その内圧が変動し、また、操作いかんによつて内圧の著しい急上昇が予測されるものであることが明らかである。

してみると、本願発明の出願当時の前記技術常識によれば、本願発明のごとき蒸発缶においては、安全弁を設けて内圧の上昇を抑制する設計技法が採択されることになるから、この技術常識とは異なり、安全弁を設けず内圧の上昇を許容して耐圧強度を圧力上昇に見合つた値にする設計技法を基本とする本願発明の構成が従来の技術常識に基づいて容易に想到しえたものとすることはできない。

(3)  そして、前記本願発明の要旨によれば、本願発明は右のとおり蒸発缶に安全弁を設けることなくその耐圧強度を高めるという構成を更に限定して、その耐圧強度を加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にする(構成要件A)ものである。

被告は、本願発明において、構成要件Aを採択することは甲第4号証(前掲「石油学会規格」)に示されている周知の事実から容易に想到できたものである旨主張する。

成立に争いのない甲第4号証によれば、前掲「石油学会規格」には、本願発明の蒸発缶を含む石油工業用の塔ソウ類の設計に適用される温度・圧力基準として、「3・2 設計圧力の定め方」の項に、塔ソウ類の設計圧力は「予想される最高の圧力とし、これが想定されない場合は(常用圧力×1.1)、または(常用圧力×1.8kg/cm3)のいずれかをとる。」(3・2・2)と記載されていることが認められるが、前述のとおり、この種の工業用圧力容器においては安全弁を設けることが通常であるから、右設計圧力の定め方は、安全弁を設けた場合についての圧力容器等の設計圧力に関して述べたものとみるのが相当である。そして、右にいう「予想される最高の圧力」とは、前掲甲第6号証によれば、前掲「化学プラントの安全設計」2・4・2項のa・(ⅱ)の「(1) 使用圧力」の項に「通常の運転圧力をいう。」、「(2) 設計圧力」の項に、「圧力、温度などの使用条件から考えて設計の基本となるもので、使用圧力の変動を考えて安全な値をとる。日本石油学会(JPI)では使用圧力の1.1倍あるいは使用圧力に1.8kg/cm3を加えたもののうち、いずれか大きい方をとることに決められている。」(第80頁第3行ないし第7行)と記載されていることが認められるから、右記載事項に照らし、通常の運転圧力の変動の範囲内における予想される最高の圧力を指すものとみるのが相当であり、これが、装置内部の要因に基づく緊急時の内部圧力の最高圧力を指しているものと解することはできない。

したがつて、熱媒の流量調節の不能による一時的な急激な温度上昇あるいは出荷ガスの急停止等の装置内部の要因に基づく緊急時の内圧上昇に対処するために、安全弁を設けることなく、蒸発缶の耐圧強度として前記構成要件Aを採択することが被告主張の周知の事実から容易に想到しえたものとすることはできない。

(3)  本願発明の「加熱熱媒の最高温度における液体炭化水素の気液平衡圧」とは、右温度における液体炭化水素の飽和蒸気圧を意味することは当事者間に争いがなく、右事実によれば、加熱熱媒により液体炭化水素を気化する液体炭化水素の気化装置においては、蒸発缶の内圧は液体炭化水素の気液平衡圧であり、この気液平衡圧は蒸発缶内の温度により決まるものであり、この蒸発缶内の温度は加熱熱媒の温度に左右されるものであることが明らかであるところ、前掲甲第2号証の1ないし3によれば、本願発明は、蒸発缶の耐圧強度を加熱熱媒の最高使用温度における液体炭化水素の気液平衡圧以上にする(構成要件A。したがつて、蒸発缶の内圧は、火災等の外部による不測の事故以外の、内部の要因では、この気液平衡圧以上にはならない。)ことによつて、蒸発缶の排ガス放出設備を廃止して液体炭化水素の加熱により生じた気化ガスを蒸発缶内に封じ込めた(構成要件B)ものであり、前記装置内部の要因に基づく内圧上昇のための排ガス放出設備、すなわち、熱媒により気化された炭化水素ガスに基づく昇圧に対する安全弁、逃し弁及びこれに付随したフレアスタツク類などの排ガス放出設備を全く用いずに装置内圧の異状上昇による装置の破損や爆発が完全に防止されると共に、公害問題発生の可能性を解消し、もつて大容量の液体炭化水素気化装置の安全と無公害運転を確保し、廉価(従来技術に比較すると、蒸発缶の板厚を大きくしなければならないが、前記諸設備を廃止し、そのための用地を不要にすることにより、著しく経費を節減できる。)に炭化水素ガスを生産できる液体炭化水素の密封型大容量気化装置を提供することができるという、従来技術から予期できない顕著な作用効果を奏するものであることが認められる。

(4)  以上のとおりであつて、審決は、本願発明と引用例記載の発明との相違点(イ)について判断するに当たり、本願発明の右相違点についての構成は、審決が認定しあるいは被告が本訴において主張する技術常識ないし周知事実に基づいて容易に想到することができない点についての判断を誤り、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過した結果、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとしたものであり、右誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、審決は違法として取消されるべきである。

3  よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は正当として認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(蕪山嚴 竹田稔 塩月秀平)

〈以下省略〉

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